須田国太郎

Kunitaro Suda

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須田国太郎は、「東西の絵画の綜合」という壮大なテーマを掲げ、油彩画の在り方を追求しました。
1919年の渡欧の際、スペインのマドリードを拠点にヨーロッパの各地を訪れ、リアリズムの表現に触れます。
1932年初個展を開催。里見勝蔵や川口軌外の誘いで独立美術協会の会員となると、同会を中心に作品を次々と発表しました。
須田は西洋絵画を基礎にしながら日本独自の油彩画模索し、色彩を重ねながら陰影のうちに対象を捉える重厚な作風を生み出します。
日本(東洋)の美意識とを融合させることを、生涯にわたり探求し続け、70歳で逝去します。

経歴

1891
京都市中京区で生まれる
1919
渡欧。マドリードを拠点に各地を旅しつつ、スペイン美術及びヴェネツィア派を研究
1932
東京銀座の資生堂画廊で、初めて個展を開く
1934
独立美術協会会員となる。
第4回独立展に「夏の午後」「西班牙の山間」「法観寺塔婆」「唐招提寺礼堂」等16点出品。
1947
日本芸術院会員に就任
1949
京都大学文学部講師となり、1年間美術史を講ず。
京都市立美術専門学校客員教授となる。
第17回独立展に「浜(室戸)」「岬(室戸)」出品。
1950
京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)教授に就任
1957
神奈川県立美術館にて北川民次と二人展開催。
京都市立美術大学学長代理を解かる。
第4回日本国際美術展に「魚市場」出品。
1959
関西画壇の向上に貢献した功績により、毎日美術特別賞を受ける。
第27回独立展に「鉱山」出品。
1960
京都市立美術大学教授を退く。
同大学名誉教授の称号を受ける。
京都国立博物館評議員を解かる。
1961
京都市篤志者として表彰される。
12月16日、京都大学病院にて永眠。
従四位、勲3等に叙せられ、瑞宝章を授けらる。
12月22日、正四位、勲3等に叙せらる。

履歴

コレクション

東京国立近代美術館・京都国立近代美術館・京都市京セラ美術館・静岡県立美術館