谷中安規

Yasunori Tanaka

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誰も見たことのない幻想と怪奇の世界を描いた鬼才。
複雑な環境で育った谷中は、24歳の頃には放浪生活を強いられるようになる。
そのような生活の中、1922年、創作版画の第一人者だった永瀬義郎による入門書「版画を作る人へ」との出会いから、木版画制作を開始。
傘の骨を改造した彫刻刀で版を彫り始め、1926年の同人誌「莽魯聞葉」で初めて木版画を発表。
その作品は幻覚とも妄想とも思える独創的な世界を描いた素描や版画作品で大きな衝撃を与える。
1936年頃からは小説の装幀や挿絵を手掛けるようになる。
しかし、戦争のため焼け出された後、生活は困窮を極め、49歳の若さで栄養失調のため亡くなる。

経歴

1897
奈良県桜井市初瀬生まれ
1904
父と朝鮮の京城に渡るも単身帰国し、東京の豊山中学に通うが学資が続かず中退
1922
独学で木版画製作を始める
1924
第一書房に勤め、社主の長谷川巳之吉に画才を認められる
1926
日夏耿之介の紹介で永瀬義郎指導下に木版画家を目指す
1928
第8回日本創作版画展に出品、初入選。前川千帆、恩地孝四郎、平塚運一らを知る
1931
日本版画協会の結成に参加
1933
第5回童土社創作版画展に恩地孝四郎、棟方志功らの作品とともに特別陳列される
1936
挿絵倶楽部(後の日本挿絵画家協会)が結成されるとその会員にか推薦される
1941
滝野川区中里町(現・北区中里)に移る。以後、戦災で焼け出されるまで同所に住む
1945
空襲で焼け出され、掘立小屋を建てて住む。近くの空き地にさつまいもなどを栽培する
1946
誰にも看取られることなくバラックにて栄養失調により永眠

履歴

受賞歴

1928
第8回日本創作版画展に出品、初入選
1931
第1回新興版画展に出品、受賞

コレクション

町田市立国際版画美術館・東京国立近代美術館 他